人と自然が織りなす歴史で、災害がなくなることはあり得ない。人にできるのは被害をできるだけ小さくする「減災」の努力である。それにはどうしたらいいのか。東日本大震災の教訓は人、企業、行政が連携できた時に可能になるということだ。キーワードは「つながり、つなぐ」である。
共助への準備が必要に
大震災後、日本列島では地震活動が高まり、御嶽山や口永良部島など火山も噴火した。9世紀後半、大地震や噴火が重なった貞観期の再来とみる研究者は多い。
政府は西日本の太平洋沿いで起きる南海トラフ地震や首都直下地震への備えを強めている。南海トラフでは最悪32万人、首都直下でも同2万人の死者が予想される。行政などの関心が2つの地震ばかりに集まり、他の地域で備えが手薄になっているのも気がかりだ。
まず最初に考えなければならないのは人のつながりである。
1995年の阪神大震災では大学生などが神戸に駆けつけボランティア元年と呼ばれた。東日本大震災では個人、大手企業、被災地の零細企業、各地のNPOが横につながり、支援や地域再建の新しい形を探る「つながり」元年となった。支えたのはIT(情報技術)だ。
宮城県気仙沼市では元マッキンゼーのコンサルタントが起業、地域おこしに関心の高い地元の女性たちを指揮し手編みの高級セーターを製作。ネットで全国に販売し好評だ。
住民の帰還準備が続く福島県南相馬市では家の片付けや草刈りに人手が要る。NPO法人災害復興支援ボランティアネットはITで首都圏の参加希望者を呼び込み年間数千から1万人を派遣する。
こうした支援の体験を企業、団体、自治体、個人などが蓄積していくことが、そのまま「次」への備えになる。日ごろから社会参加や助け合いに慣れておくことが非常時の大規模な共助が機能するための最大の準備になる。
次は企業のつながりである。5年前、車載用の半導体工場が被災して生産が数カ月間滞った自動車産業では、一部の部品会社が被災しても、海外を含む他社から供給を仰ぎ、急場を乗り切る「調達先の複数化」を進めている。
自動車会社と直接取引する1次メーカーだけでなく、その下に連なる2次、3次の下請け会社についてもきちんと把握し、部品や素材の流れの全容をつかむ「供給網の見える化」も大きな課題だ。
気になるのは、非常時の行動指針を定めた「事業継続計画(BCP)」の作成が伸び悩んでいることだ。NTTデータ経営研究所の調査によると、BCPを策定済みの企業の割合は2013年1月に40.4%と大震災前の1.5倍に増えたが、2年後の15年1月時点でも40.8%と足踏みした。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」では緊急時に的確に対応できない。
行政のつながりも大事だ。大震災では東京都杉並区が「スクラム支援」と名付けて、災害に備えた相互援助協定を結ぶ3市町と協力し、南相馬市に職員を派遣、避難所を提供するなど広域的に助け合う試みが成果を上げた。
効果的なITの活用を
災害時の支援先を事前に決めておく動きも震災後に広がっている。中四国9県では鳥取と徳島、岡山と香川などと組み合わせをつくり、相手が被災した場合には要請を待たずに支援に乗り出す。こうした仕組みは、常日ごろから交流していてこそ生きる。支援内容も定期的に見直すことが必要だ。
災害時に自治体が機能を維持できるかも問われる。大震災では戸籍台帳やカルテが津波で流され重要情報を失う深刻な事態を招いた。その反省から情報を安全に管理し行政機能が滞らない体制をつくる大切さを痛感したはずだ。
それにはITの活用が効果的なはずなのに、そうした行政が全国に広がったとは言い難い。この5年で一段と進化したクラウド技術を使えば、情報を共有し、離れた場所でも共同作業するのも容易になった。使いこなそうとする自治体は一握りにとどまる。
「地震の現象」は人間の力でどうにもならなくても「地震による災害」は注意次第でどんなにでも軽減できる――。物理学者で随筆家の寺田寅彦が何よりも備えの大切さを説いた言葉だ。あれから5年、改めてかみしめたい。
共助への準備が必要に
大震災後、日本列島では地震活動が高まり、御嶽山や口永良部島など火山も噴火した。9世紀後半、大地震や噴火が重なった貞観期の再来とみる研究者は多い。
政府は西日本の太平洋沿いで起きる南海トラフ地震や首都直下地震への備えを強めている。南海トラフでは最悪32万人、首都直下でも同2万人の死者が予想される。行政などの関心が2つの地震ばかりに集まり、他の地域で備えが手薄になっているのも気がかりだ。
まず最初に考えなければならないのは人のつながりである。
1995年の阪神大震災では大学生などが神戸に駆けつけボランティア元年と呼ばれた。東日本大震災では個人、大手企業、被災地の零細企業、各地のNPOが横につながり、支援や地域再建の新しい形を探る「つながり」元年となった。支えたのはIT(情報技術)だ。
宮城県気仙沼市では元マッキンゼーのコンサルタントが起業、地域おこしに関心の高い地元の女性たちを指揮し手編みの高級セーターを製作。ネットで全国に販売し好評だ。
住民の帰還準備が続く福島県南相馬市では家の片付けや草刈りに人手が要る。NPO法人災害復興支援ボランティアネットはITで首都圏の参加希望者を呼び込み年間数千から1万人を派遣する。
こうした支援の体験を企業、団体、自治体、個人などが蓄積していくことが、そのまま「次」への備えになる。日ごろから社会参加や助け合いに慣れておくことが非常時の大規模な共助が機能するための最大の準備になる。
次は企業のつながりである。5年前、車載用の半導体工場が被災して生産が数カ月間滞った自動車産業では、一部の部品会社が被災しても、海外を含む他社から供給を仰ぎ、急場を乗り切る「調達先の複数化」を進めている。
自動車会社と直接取引する1次メーカーだけでなく、その下に連なる2次、3次の下請け会社についてもきちんと把握し、部品や素材の流れの全容をつかむ「供給網の見える化」も大きな課題だ。
気になるのは、非常時の行動指針を定めた「事業継続計画(BCP)」の作成が伸び悩んでいることだ。NTTデータ経営研究所の調査によると、BCPを策定済みの企業の割合は2013年1月に40.4%と大震災前の1.5倍に増えたが、2年後の15年1月時点でも40.8%と足踏みした。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」では緊急時に的確に対応できない。
行政のつながりも大事だ。大震災では東京都杉並区が「スクラム支援」と名付けて、災害に備えた相互援助協定を結ぶ3市町と協力し、南相馬市に職員を派遣、避難所を提供するなど広域的に助け合う試みが成果を上げた。
効果的なITの活用を
災害時の支援先を事前に決めておく動きも震災後に広がっている。中四国9県では鳥取と徳島、岡山と香川などと組み合わせをつくり、相手が被災した場合には要請を待たずに支援に乗り出す。こうした仕組みは、常日ごろから交流していてこそ生きる。支援内容も定期的に見直すことが必要だ。
災害時に自治体が機能を維持できるかも問われる。大震災では戸籍台帳やカルテが津波で流され重要情報を失う深刻な事態を招いた。その反省から情報を安全に管理し行政機能が滞らない体制をつくる大切さを痛感したはずだ。
それにはITの活用が効果的なはずなのに、そうした行政が全国に広がったとは言い難い。この5年で一段と進化したクラウド技術を使えば、情報を共有し、離れた場所でも共同作業するのも容易になった。使いこなそうとする自治体は一握りにとどまる。
「地震の現象」は人間の力でどうにもならなくても「地震による災害」は注意次第でどんなにでも軽減できる――。物理学者で随筆家の寺田寅彦が何よりも備えの大切さを説いた言葉だ。あれから5年、改めてかみしめたい。