東京都民の信頼を回復し、都政を安定軌道に乗せる。新知事小池百合子氏の使命である。現場の声に耳を傾け、独善を排して責務を全うせねばならない。
参院選直後に告示された今都知事選。都民の選挙疲れが心配されたが、むしろ関心は高かった。主要候補の三つどもえの争いが興味をかき立てたのだろう。
その結果、自民、公明の与党が担いだ増田寛也氏も、民進、共産などの野党が担いだ鳥越俊太郎氏も、惨敗を喫した。大勝したのは、古巣の自民党に反旗を翻して、独りで挑んだ小池氏だった。
◆嫌われた既成政党
---------
自民党都連は、除名処分をちらつかせ、同党議員のみならず、その親族による小池氏の応援まで事実上禁じた。良心や思想信条、表現の自由を封じ込めるような組織の締めつけ方は、かえってアレルギー反応を招いたに違いない。
民進党中心の野党は、出馬の意欲を見せていた元日弁連会長の宇都宮健児氏の思いを切り捨てた。政党の思惑を優先させ、草の根の声を踏みにじってもしまった。
小池氏の勝利は、最近の米欧の政治動向をほうふつさせる。いわばエリート層や既得権層に対する不満の表明だったようだ。
この時期に都知事選が行われたのは無論、前知事舛添要一氏が失脚したからだ。その前任猪瀬直樹氏の二の舞いを演じ、政治とカネの問題で退場となった。トップの愚行による交代劇はうんざりだ。
国と地方を問わず、政治家の金銭感覚はまひしがちだ。きちんと歯止めをかけねばならない。
ひとつは、税金の無駄遣いの排除である。海外出張や公用車利用の在り方を含めて、幅広い経費節約の仕組みが欠かせない。最高水準の知事や議員の報酬、政務活動費ももちろん、例外ではない。
◆情報公開と説明責任
----------
もうひとつ。政治家個人に託される政治資金の不適切な流用の防止である。小池氏は、衆院議員時代のカネの使い方によもや疑念を持たれることはないと信じたい。
首都として全国に模範を示すべく、条例に基づく厳しい独自ルールを導入してはどうか。カネの流れや使途と成果について情報公開と説明責任を課す。トップとしての気概と指導力が問われよう。
本来、首長の政治とカネの問題に終止符をという機運は、議会側から強まってしかるべきだ。
知事二代が辞職したのは、都議会での疑惑追及の途上だった。ところが、真相究明は中途半端のまま立ち消えになり、一連の騒動に教訓を学び、有効な再発防止策に結びつけた痕跡もうかがえない。
都知事選で二氏を相次いで売り込んだ自民も、公明も、これまでに政治的、道義的にけじめをつけたとは言い難い。責任の所在はいまだうやむやになっている。
地方自治体は、住民が直接選ぶ首長と議会の二元代表制で成り立っている。互いの抑制と均衡が健全に機能せねばならない。なれ合いや力の偏りは自治をゆがめる。
議会不信の声を受けて、小池氏は知事の不信任議決を前提とする「都議会の冒頭解散」を公約して当選した。都政にとって無益な対立はもっての外だが、人心一新を求めたのもまた民意ではある。都議会に自省すべき点はないか。
目の前には、政治力や行政手腕が試される難題が控えている。
二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの開催経費を、都はいくら負担するのか。招致時は七千三百億円余りとされたのに、今や二、三兆円という観測が飛び交う。
背景には、東日本大震災の復興需要に伴う資材費や人件費の高騰がある。加えて、競技の追加やテロ対策の強化といった経費の押し上げ要因も尽きないようだ。
競技会場のうち、恒久会場は都、仮設会場や既存施設の改修は大会組織委員会、新国立競技場は国が整備費を賄う段取りだった。しかし、すでに都には想定外のしわ寄せが及ぶ雲行きである。
舛添、組織委会長の森喜朗、五輪相の遠藤利明の三氏は、経費の全体像も明らかにしないまま都の負担増を合意した。密室協議を改めねば、民心は離れる。「都政の透明化」へ、試金石となろう。
◆市民感覚の錬磨こそ
----------
国政選に比べて、日々の暮らしや仕事の在り方を左右しうる身近なリーダー選びである。知名度頼みの人気投票ではなく、理念や政策、人物像を吟味した結果なのか。選択眼は進化したのか。評価は都政の運営ぶりに委ねたい。
「都民が決める。都民と進める。東京の未来」。それが小池氏が掲げたスローガンである。
真意ならば、他の候補二十人に投じられた票の重みも忘れてはならない。おごらず、いつも市民感覚を磨き続ける。そんなリーダーであってほしい。
参院選直後に告示された今都知事選。都民の選挙疲れが心配されたが、むしろ関心は高かった。主要候補の三つどもえの争いが興味をかき立てたのだろう。
その結果、自民、公明の与党が担いだ増田寛也氏も、民進、共産などの野党が担いだ鳥越俊太郎氏も、惨敗を喫した。大勝したのは、古巣の自民党に反旗を翻して、独りで挑んだ小池氏だった。
◆嫌われた既成政党
---------
自民党都連は、除名処分をちらつかせ、同党議員のみならず、その親族による小池氏の応援まで事実上禁じた。良心や思想信条、表現の自由を封じ込めるような組織の締めつけ方は、かえってアレルギー反応を招いたに違いない。
民進党中心の野党は、出馬の意欲を見せていた元日弁連会長の宇都宮健児氏の思いを切り捨てた。政党の思惑を優先させ、草の根の声を踏みにじってもしまった。
小池氏の勝利は、最近の米欧の政治動向をほうふつさせる。いわばエリート層や既得権層に対する不満の表明だったようだ。
この時期に都知事選が行われたのは無論、前知事舛添要一氏が失脚したからだ。その前任猪瀬直樹氏の二の舞いを演じ、政治とカネの問題で退場となった。トップの愚行による交代劇はうんざりだ。
国と地方を問わず、政治家の金銭感覚はまひしがちだ。きちんと歯止めをかけねばならない。
ひとつは、税金の無駄遣いの排除である。海外出張や公用車利用の在り方を含めて、幅広い経費節約の仕組みが欠かせない。最高水準の知事や議員の報酬、政務活動費ももちろん、例外ではない。
◆情報公開と説明責任
----------
もうひとつ。政治家個人に託される政治資金の不適切な流用の防止である。小池氏は、衆院議員時代のカネの使い方によもや疑念を持たれることはないと信じたい。
首都として全国に模範を示すべく、条例に基づく厳しい独自ルールを導入してはどうか。カネの流れや使途と成果について情報公開と説明責任を課す。トップとしての気概と指導力が問われよう。
本来、首長の政治とカネの問題に終止符をという機運は、議会側から強まってしかるべきだ。
知事二代が辞職したのは、都議会での疑惑追及の途上だった。ところが、真相究明は中途半端のまま立ち消えになり、一連の騒動に教訓を学び、有効な再発防止策に結びつけた痕跡もうかがえない。
都知事選で二氏を相次いで売り込んだ自民も、公明も、これまでに政治的、道義的にけじめをつけたとは言い難い。責任の所在はいまだうやむやになっている。
地方自治体は、住民が直接選ぶ首長と議会の二元代表制で成り立っている。互いの抑制と均衡が健全に機能せねばならない。なれ合いや力の偏りは自治をゆがめる。
議会不信の声を受けて、小池氏は知事の不信任議決を前提とする「都議会の冒頭解散」を公約して当選した。都政にとって無益な対立はもっての外だが、人心一新を求めたのもまた民意ではある。都議会に自省すべき点はないか。
目の前には、政治力や行政手腕が試される難題が控えている。
二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの開催経費を、都はいくら負担するのか。招致時は七千三百億円余りとされたのに、今や二、三兆円という観測が飛び交う。
背景には、東日本大震災の復興需要に伴う資材費や人件費の高騰がある。加えて、競技の追加やテロ対策の強化といった経費の押し上げ要因も尽きないようだ。
競技会場のうち、恒久会場は都、仮設会場や既存施設の改修は大会組織委員会、新国立競技場は国が整備費を賄う段取りだった。しかし、すでに都には想定外のしわ寄せが及ぶ雲行きである。
舛添、組織委会長の森喜朗、五輪相の遠藤利明の三氏は、経費の全体像も明らかにしないまま都の負担増を合意した。密室協議を改めねば、民心は離れる。「都政の透明化」へ、試金石となろう。
◆市民感覚の錬磨こそ
----------
国政選に比べて、日々の暮らしや仕事の在り方を左右しうる身近なリーダー選びである。知名度頼みの人気投票ではなく、理念や政策、人物像を吟味した結果なのか。選択眼は進化したのか。評価は都政の運営ぶりに委ねたい。
「都民が決める。都民と進める。東京の未来」。それが小池氏が掲げたスローガンである。
真意ならば、他の候補二十人に投じられた票の重みも忘れてはならない。おごらず、いつも市民感覚を磨き続ける。そんなリーダーであってほしい。