オウム真理教による平成7年の東京都庁郵便物爆発事件に関与したとして殺人未遂幇助(ほうじょ)罪などに問われた教団元信者の控訴審判決で、東京高裁は女性被告に逆転無罪を言い渡した。
1審の裁判員裁判は懲役5年の実刑判決を下していた。新証拠のない控訴審で、裁判員による証拠の評価を、職業裁判官が覆したことになる。
裁判員制度は、国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させることを目的に導入されたものだ。
下級審に誤りがあれば上級審がこれを改めるのは当然だが、裁判員裁判の判断を覆す以上、説得力のある説明が必要だ。検察側は上告を検討しているとされる。最高裁で、裁判員制度の意義についても再確認し、言及する必要があるのではないか。
被告は、爆薬の原料となる薬品を山梨県内の教団施設から都内のアジトに運搬したが、「薬品がテロに使われる認識はなかった」と主張していた。
1審判決は、元教団幹部の死刑囚の証言などから、被告に危険物製造の認識はあったと認定したが、東京高裁は「多くの証人の記憶が曖昧」であるなか、元教団幹部の証言は「不自然なほど詳細で、むしろ信用できない」などとして、これを退けた。
証言の信用性に立ちはだかる壁は、事件後20年の歳月だった。だがこれは、被告自身が17年間の逃亡でつくったものでもある。
教団は当時、既に地下鉄サリン事件など数々の凶悪犯罪を起こしており、被告にテロ関与の認識が全くなかったことは不自然であると、誰もがまず考える。
それが日常感覚であり、常識というものなのではないか。
爆発物によって手の指を失った被害者は「長年逃亡し、罪の意識はあったはずだ」と悔しさをにじませた。合議を重ねて1審判決を導き出した裁判員らも、無力感にさいなまれているだろう。
東京高裁の大島隆明裁判長は被告に無罪を告げた後、「法律的には無罪だが、あなたの行為が重大な結果を招いた。自分の中で整理してほしい」と説諭した。被告は深々と頭を下げたという。
重大な結果を招いた行為が、法律的に無罪であるという裁判の結末こそが、被害者や一般国民に一番分かりにくいのではないか。
1審の裁判員裁判は懲役5年の実刑判決を下していた。新証拠のない控訴審で、裁判員による証拠の評価を、職業裁判官が覆したことになる。
裁判員制度は、国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させることを目的に導入されたものだ。
下級審に誤りがあれば上級審がこれを改めるのは当然だが、裁判員裁判の判断を覆す以上、説得力のある説明が必要だ。検察側は上告を検討しているとされる。最高裁で、裁判員制度の意義についても再確認し、言及する必要があるのではないか。
被告は、爆薬の原料となる薬品を山梨県内の教団施設から都内のアジトに運搬したが、「薬品がテロに使われる認識はなかった」と主張していた。
1審判決は、元教団幹部の死刑囚の証言などから、被告に危険物製造の認識はあったと認定したが、東京高裁は「多くの証人の記憶が曖昧」であるなか、元教団幹部の証言は「不自然なほど詳細で、むしろ信用できない」などとして、これを退けた。
証言の信用性に立ちはだかる壁は、事件後20年の歳月だった。だがこれは、被告自身が17年間の逃亡でつくったものでもある。
教団は当時、既に地下鉄サリン事件など数々の凶悪犯罪を起こしており、被告にテロ関与の認識が全くなかったことは不自然であると、誰もがまず考える。
それが日常感覚であり、常識というものなのではないか。
爆発物によって手の指を失った被害者は「長年逃亡し、罪の意識はあったはずだ」と悔しさをにじませた。合議を重ねて1審判決を導き出した裁判員らも、無力感にさいなまれているだろう。
東京高裁の大島隆明裁判長は被告に無罪を告げた後、「法律的には無罪だが、あなたの行為が重大な結果を招いた。自分の中で整理してほしい」と説諭した。被告は深々と頭を下げたという。
重大な結果を招いた行為が、法律的に無罪であるという裁判の結末こそが、被害者や一般国民に一番分かりにくいのではないか。