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[東京新聞] 年のおわりに考える 歴史に学びたい寛容 (2015年12月28日)

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欧州では押し寄せる難民、テロの影響で、排外主義を訴えるポピュリズムが目立っています。今こそ歴史を振り返り、寛容さを思い起こすべきです。

旧東ドイツ、人口約十万人の小都市シュウェリンで今年、難民申請するのは二千人を超えるといいます。カトリック系団体などが難民との交流会を開いています。シリアやアフガニスタンからの難民が戦火を逃れて祖国を出た経緯や、ドイツにたどり着くまでの苦労を話していました=写真、右が難民。企画したドイツ人男性(57)はこう言います。

「この地域では戦後、住民の三分の一が(ドイツが失った東方領土から引き揚げた)難民だった。自分も難民になった気持ちで接してあげなくては」

メルケル首相が積極的な受け入れを表明したことを受け、今年、ドイツに入国した難民申請希望者は百万人とみられています。各市町村は、人口や経済力ごとに割り当てられた人数を受け入れます。

ベルリンでは空港跡、見本市会場、兵舎に仮設住居が設けられていました。連邦政府が費用を負担し、ベルリン市の委託で民間企業が運営。ボランティアも手伝い、衣類などの寄付も集まるなど、市民の総力を挙げた取り組みです。

ナチス時代には人種主義を掲げたドイツですが、すでに多くの外国人が暮らしています。

一九六〇年代の高度経済成長期、西ドイツはトルコなどから労働者を受け入れました。家族らも呼び寄せ、ドイツのトルコ系住民は約三百万人に上ります。

これらトルコ系イスラム教徒の移民らに対し、ドイツ連邦銀行理事だったティロ・ザラツィン氏は五年前に刊行した『自壊しゆくドイツ』で、「積極的にドイツ語を学ばず、社会に溶け込もうとしない。ドイツ人に比べて出生率が高く、国の知的水準が下がる」などと差別的な批判をしました。


◆難民保護は国是
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こういった排外主義、反イスラム感情は、ドイツに根強くあります。パリ同時多発テロ後には偏見へとつながりました。冒頭のシュウェリン市では、支援団体事務所に嫌がらせのメールや手紙が匿名で送られてきたそうです。極右らによる難民排斥デモには約三百人が集まりました。

しかし、ドイツでは極右政党は国政で議席を持つには至っていません。ナチスのユダヤ人迫害の反省を踏まえ、難民の保護が基本法(憲法)にも規定されている“国是”であることを、国民の大多数が自覚しているためでしょう。

ドイツ政府も二〇〇五年以降、改正移民法を施行し、技能者らの滞在許可を得やすくする一方で、ドイツ語の習得を義務付け、移民らとの統合社会づくりを進めています。今回の難民申請希望者に対してもまず、ドイツ語の学習を勧めています。

ドイツ一国だけでは、押し寄せる難民を支えきれません。欧州連合(EU)をはじめ、国際社会の分担と協力が必要ですが、イスラム教徒への警戒感が強まっている国も目立ちます。

テロに見舞われたフランスでは、今月初めの地方選第一回投票でルペン党首率いる極右政党「国民戦線」が躍進しました。

英国のキャメロン首相は、EU改革として、移民への社会福祉の制限を求め、EU残留か離脱かを問う国民投票を、来年にも実施する方針です。

米国では、共和党の大統領選候補者、トランプ氏が「イスラム教徒入国禁止」を主張しました。

しかし、イスラム教徒への差別的な扱いは反発や憎しみを招き、テロや戦争へとつながる悪循環ともなりかねません。


◆ローマ帝国の教訓
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ドイツの外交官に「難民問題の解決策はあるのか」と尋ねたところ、「(四世紀に始まった)ゲルマン民族大移動の際、異民族に不寛容だった西ローマ帝国はまもなく崩壊したが、寛容だった東ローマ帝国はその後、約千年続いた」との見方を示し、今回の難民問題でも寛容な対応がドイツのためになる、と語りました。東ローマ帝国は政府や軍の高官を、諸民族からも採用していたそうです。

歴史の教訓に学んで寛容な気持ちを取り戻すこと。多様性、多文化主義の根底には、寛容な精神こそ求められます。

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