1万8千人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災から5年。今も自宅を離れて暮らす人が18万人に上る。被災地の自立に向けて復興を加速し、この5年の教訓を改めて胸に刻みたい。
海猫が羽ばたく様子をイメージして建設し、温浴施設も併設した宮城県女川町のJR女川駅。駅から海に向かう遊歩道沿いには商業施設も開業し、ホールやスタジオが入る交流施設も完成した。
復興状況の格差目立つ
駅舎は元の場所よりも200メートル内陸側のかさ上げした土地に建てた。町役場なども近くに整備する予定で、コンパクトな街をめざす女川の新たな拠点になる。
宮城県気仙沼市では、新たに整備した2カ所の用地に水産加工施設の集積が進む。すでに30社以上の工場や冷蔵施設が稼働し、最終的には80社近くが集まる見込みだ。震災以前は各地に分散していた施設を集約することで、生産性を高める狙いがある。
被災地では今、新たな街や施設が次々と完成している。その一方で、岩手県大槌町のように中心部ですら土地のかさ上げ工事が続き、人影が少ない地域もある。
5年という時が流れ、被災地の復興には格差が目立ってきた。地域の状況に応じたさらにきめ細かな支援策が必要になっている。
復興が遅れている福島県の原子力発電所の周辺地域も同じだ。避難指示が出された区域のうち、指示が解除されたのはまだ2割弱だが、2017年3月までには除染が進み、多くの地域で住民が戻れるようになる見通しだ。
しかし、震災から5年間は戻ることは不可能とされた「帰還困難区域」では除染作業すら始まっていない。双葉、大熊、浪江などの町役場は今も町外にある。
この区域でも放射線量が低下している地域はあるから、政府は早急に帰還困難区域を再編・縮小すべきだろう。外れたところは除染に取りかかり、住民が戻れる生活環境を整えてほしい。
半面、区域内では原発事故の後始末が長引き、除染で生じた汚染土を保管する中間貯蔵施設の建設も予定されている。全地域で除染し、全員帰還をめざすのが理想だが、もはや現実的とはいえなくなりつつある。
震災で被災した自治体の多くが今、頭を悩ませていることがある。「戻らない被災者」問題だ。避難先ですでに職を得ている、病気がちで生活をやり直すことが難しいなど、理由は様々だろう。
被災地全体で3月末までに災害公営住宅の6割、高台の宅地の45%が完成する。住宅再建はまだ途上といえるが、戻る住民が減った結果、すでに公営住宅では空きが目立ち始めている。
政府は16年度からの5年間に6兆5千億円を投じて、復興の総仕上げに取り組む方針だ。事業が過大になった地区では計画を機動的に見直すことが欠かせない。
一方で、せっかく整備した新たな街だ。人口減がさらに進む将来をにらみ、地域の内外から幅広く人材を受け入れる種地として、柔軟に活用する発想も要るだろう。
訪日客増やす工夫を
被災地では産業再生も遅れている。内陸部への工場立地は増えたものの、地場企業の多くは震災前の売り上げを回復していない。被災地が自立するためには、復興特区制度のような政府の支援策と併せて、自助努力も欠かせない。
例えば、訪日客の受け入れだ。日本では観光というと娯楽のイメージが強いが、歴史や災害について真摯に学び、今後に生かしたいと思う人は多い。津波や原発事故で被害を受けた施設を計画的に保存し、学習施設などを併設すれば、観光の目玉にもなる。
人類社会が経験した悲しみや過ちの記憶について時代を超えて伝える「ダークツーリズム」という手法だ。ナチスのユダヤ人収容所、ニューヨークの同時多発テロの跡、広島の原爆ドームなどがある。近年ではインドネシアのアチェに津波博物館ができた。
こうした施設は被災者につらい記憶を思い出させるだろう。しかし、それは「次」への心構えを確認する貴重な遺産にもなる。
私たちに今、最も必要なことは震災の風化を防ぐことだ。再び日本列島を襲うであろう大災害に備えながら、被災地の復興を成し遂げる。あの日の決意を改めて思い起こしたい。
海猫が羽ばたく様子をイメージして建設し、温浴施設も併設した宮城県女川町のJR女川駅。駅から海に向かう遊歩道沿いには商業施設も開業し、ホールやスタジオが入る交流施設も完成した。
復興状況の格差目立つ
駅舎は元の場所よりも200メートル内陸側のかさ上げした土地に建てた。町役場なども近くに整備する予定で、コンパクトな街をめざす女川の新たな拠点になる。
宮城県気仙沼市では、新たに整備した2カ所の用地に水産加工施設の集積が進む。すでに30社以上の工場や冷蔵施設が稼働し、最終的には80社近くが集まる見込みだ。震災以前は各地に分散していた施設を集約することで、生産性を高める狙いがある。
被災地では今、新たな街や施設が次々と完成している。その一方で、岩手県大槌町のように中心部ですら土地のかさ上げ工事が続き、人影が少ない地域もある。
5年という時が流れ、被災地の復興には格差が目立ってきた。地域の状況に応じたさらにきめ細かな支援策が必要になっている。
復興が遅れている福島県の原子力発電所の周辺地域も同じだ。避難指示が出された区域のうち、指示が解除されたのはまだ2割弱だが、2017年3月までには除染が進み、多くの地域で住民が戻れるようになる見通しだ。
しかし、震災から5年間は戻ることは不可能とされた「帰還困難区域」では除染作業すら始まっていない。双葉、大熊、浪江などの町役場は今も町外にある。
この区域でも放射線量が低下している地域はあるから、政府は早急に帰還困難区域を再編・縮小すべきだろう。外れたところは除染に取りかかり、住民が戻れる生活環境を整えてほしい。
半面、区域内では原発事故の後始末が長引き、除染で生じた汚染土を保管する中間貯蔵施設の建設も予定されている。全地域で除染し、全員帰還をめざすのが理想だが、もはや現実的とはいえなくなりつつある。
震災で被災した自治体の多くが今、頭を悩ませていることがある。「戻らない被災者」問題だ。避難先ですでに職を得ている、病気がちで生活をやり直すことが難しいなど、理由は様々だろう。
被災地全体で3月末までに災害公営住宅の6割、高台の宅地の45%が完成する。住宅再建はまだ途上といえるが、戻る住民が減った結果、すでに公営住宅では空きが目立ち始めている。
政府は16年度からの5年間に6兆5千億円を投じて、復興の総仕上げに取り組む方針だ。事業が過大になった地区では計画を機動的に見直すことが欠かせない。
一方で、せっかく整備した新たな街だ。人口減がさらに進む将来をにらみ、地域の内外から幅広く人材を受け入れる種地として、柔軟に活用する発想も要るだろう。
訪日客増やす工夫を
被災地では産業再生も遅れている。内陸部への工場立地は増えたものの、地場企業の多くは震災前の売り上げを回復していない。被災地が自立するためには、復興特区制度のような政府の支援策と併せて、自助努力も欠かせない。
例えば、訪日客の受け入れだ。日本では観光というと娯楽のイメージが強いが、歴史や災害について真摯に学び、今後に生かしたいと思う人は多い。津波や原発事故で被害を受けた施設を計画的に保存し、学習施設などを併設すれば、観光の目玉にもなる。
人類社会が経験した悲しみや過ちの記憶について時代を超えて伝える「ダークツーリズム」という手法だ。ナチスのユダヤ人収容所、ニューヨークの同時多発テロの跡、広島の原爆ドームなどがある。近年ではインドネシアのアチェに津波博物館ができた。
こうした施設は被災者につらい記憶を思い出させるだろう。しかし、それは「次」への心構えを確認する貴重な遺産にもなる。
私たちに今、最も必要なことは震災の風化を防ぐことだ。再び日本列島を襲うであろう大災害に備えながら、被災地の復興を成し遂げる。あの日の決意を改めて思い起こしたい。