マラソンブームです。でも人はなぜ走るのでしょう。苦しいはずなのに、です。今やマラソンは、楽しみながら走るスポーツへと変貌しているようです。
きょう開催の名古屋ウィメンズマラソンは過去最高の二万一千四百六十五人がエントリーしています。この大会だけでなく、二〇〇七年の第一回東京マラソンを起点に始まった市民マラソンブームは女性にもすっかり浸透し、ランナー人口は拡大を続けています。
◆低くなったハードル
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十数年前までは、マラソンに挑戦する人がこれほど増えることは考えられませんでした。一九一一年のストックホルム五輪予選会で金栗四三(かなぐりしそう)選手が優勝して以来、日本でも人気競技となりましたが、六八年に円谷幸吉選手が「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残して自殺するなど、過酷で苦しい競技というイメージが定着していたからです。
四二・一九五キロを完走できるのは鍛錬を積んだアスリートであり、その他は沿道で応援するか、テレビ観戦。特に女子は、五輪で女子マラソン競技が採用されたのでさえ八四年ロサンゼルス大会からで、それまでは「陸上の長距離は女性に過酷すぎる」とされていました。当時の優勝者のタイムは現在の世界記録より九分以上遅い二時間二十四分五十二秒です。
しかし、今やマラソンは「苦しい」から「楽しむ」スポーツへと変わり、一般ランナー参加の大会だけでも全国各地で年間二百以上が開催されています。その背景は、ダイエットや健康志向が高まったこと以外にもいろいろ考えられます。
まず、時間的なハードルが低くなったこと。名古屋に限らず、ゴールまでの制限を七時間と設定する大会は増えています。時速にすれば約六キロですから、決して無理なタイムではありません。
◆走れば心が動きだす
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時間制限の緩和でマラソンの概念は変わり、楽しみながら走るという価値が加わりました。大都市のコースの大部分は車道です。そこから見るビルや商店街はいつもと違う非日常的な光景に映るからです。
沿道からの声援も、うれしく感じます。「これまでの人生で他人から声援を送られることはなかった」と感激し、走ることを生きがいにしている人もいます。街が一つになり、その中心に自分がいるような感覚は、なかなか味わえないものです。
そして、何よりもランナーにとって走ることとは、自分の心を動かすことなのです。そのために挑戦を続ける人は数多くいます。
先月開催の東京マラソンは、参加者の96%にあたる三万四千六百七十七人が完走した。ゴール後、沿道で応援していた家族と落ち合って笑顔で帰宅の途に就く参加者から多く聞かれたのは、このような言葉でした。
「途中で足が痛くなって何度もあきらめようと思ったが、もう少し頑張ろう、もう少し先まで行こうと思って完走できた」
人は苦しい時や悲しい時に、心が動かなくなることがあります。前進しなければいけないと思っていても、その一歩がどうしても踏み出せない状態です。
走るのをやめようとした時でも、心を動かして足を進めた経験。それは途中棄権することができない人生において、何にも替え難い自信や達成感をもたらすのではないでしょうか。
マラソンと人生はもちろん違います。マラソンはコースが決められ、全員が同じゴールを目指します。しかし人生にはさまざまな分岐点があり、百人いれば百通りのコースとゴールがあります。
ただ、箱根駅伝を二連覇し、先月の東京マラソンでは出場した選手が日本人の二、三位に入るなど大躍進する青山学院大陸上部の原晋(すすむ)監督は、夢や目標を持つことの大切さを次のように説いています。
「夢が目標に、目標が課題に、そして課題が日課となって毎日の生活のなかに組みこまれていく。こうした環境に置かれた人間が、強くならないはずがありません」
トップランナーではなくても、それぞれが「完走したい」「五時間を切りたい」など自分なりの目標を立てていることでしょう。その目標に向けてスタートから飛ばすも良し、前半は体力を温存して終盤に勝負をかけるも良し。「時」は止めたり戻したりすることはできないが、その時間をどのように使うかは自分次第です。
◆最終ゴールはもっと先
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そして新たな課題を見つけ、次の目標に向けてまた駆け出せばいいのです。マラソンも人生も、もちろん「きょう」が最終ゴールではない。明日に向かって、楽しみながら走っていこうではありませんか。
きょう開催の名古屋ウィメンズマラソンは過去最高の二万一千四百六十五人がエントリーしています。この大会だけでなく、二〇〇七年の第一回東京マラソンを起点に始まった市民マラソンブームは女性にもすっかり浸透し、ランナー人口は拡大を続けています。
◆低くなったハードル
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十数年前までは、マラソンに挑戦する人がこれほど増えることは考えられませんでした。一九一一年のストックホルム五輪予選会で金栗四三(かなぐりしそう)選手が優勝して以来、日本でも人気競技となりましたが、六八年に円谷幸吉選手が「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と遺書を残して自殺するなど、過酷で苦しい競技というイメージが定着していたからです。
四二・一九五キロを完走できるのは鍛錬を積んだアスリートであり、その他は沿道で応援するか、テレビ観戦。特に女子は、五輪で女子マラソン競技が採用されたのでさえ八四年ロサンゼルス大会からで、それまでは「陸上の長距離は女性に過酷すぎる」とされていました。当時の優勝者のタイムは現在の世界記録より九分以上遅い二時間二十四分五十二秒です。
しかし、今やマラソンは「苦しい」から「楽しむ」スポーツへと変わり、一般ランナー参加の大会だけでも全国各地で年間二百以上が開催されています。その背景は、ダイエットや健康志向が高まったこと以外にもいろいろ考えられます。
まず、時間的なハードルが低くなったこと。名古屋に限らず、ゴールまでの制限を七時間と設定する大会は増えています。時速にすれば約六キロですから、決して無理なタイムではありません。
◆走れば心が動きだす
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時間制限の緩和でマラソンの概念は変わり、楽しみながら走るという価値が加わりました。大都市のコースの大部分は車道です。そこから見るビルや商店街はいつもと違う非日常的な光景に映るからです。
沿道からの声援も、うれしく感じます。「これまでの人生で他人から声援を送られることはなかった」と感激し、走ることを生きがいにしている人もいます。街が一つになり、その中心に自分がいるような感覚は、なかなか味わえないものです。
そして、何よりもランナーにとって走ることとは、自分の心を動かすことなのです。そのために挑戦を続ける人は数多くいます。
先月開催の東京マラソンは、参加者の96%にあたる三万四千六百七十七人が完走した。ゴール後、沿道で応援していた家族と落ち合って笑顔で帰宅の途に就く参加者から多く聞かれたのは、このような言葉でした。
「途中で足が痛くなって何度もあきらめようと思ったが、もう少し頑張ろう、もう少し先まで行こうと思って完走できた」
人は苦しい時や悲しい時に、心が動かなくなることがあります。前進しなければいけないと思っていても、その一歩がどうしても踏み出せない状態です。
走るのをやめようとした時でも、心を動かして足を進めた経験。それは途中棄権することができない人生において、何にも替え難い自信や達成感をもたらすのではないでしょうか。
マラソンと人生はもちろん違います。マラソンはコースが決められ、全員が同じゴールを目指します。しかし人生にはさまざまな分岐点があり、百人いれば百通りのコースとゴールがあります。
ただ、箱根駅伝を二連覇し、先月の東京マラソンでは出場した選手が日本人の二、三位に入るなど大躍進する青山学院大陸上部の原晋(すすむ)監督は、夢や目標を持つことの大切さを次のように説いています。
「夢が目標に、目標が課題に、そして課題が日課となって毎日の生活のなかに組みこまれていく。こうした環境に置かれた人間が、強くならないはずがありません」
トップランナーではなくても、それぞれが「完走したい」「五時間を切りたい」など自分なりの目標を立てていることでしょう。その目標に向けてスタートから飛ばすも良し、前半は体力を温存して終盤に勝負をかけるも良し。「時」は止めたり戻したりすることはできないが、その時間をどのように使うかは自分次第です。
◆最終ゴールはもっと先
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そして新たな課題を見つけ、次の目標に向けてまた駆け出せばいいのです。マラソンも人生も、もちろん「きょう」が最終ゴールではない。明日に向かって、楽しみながら走っていこうではありませんか。