責任者は一体誰だったのか。問題の核心は依然としてやぶの中である。新国立競技場の計画の失敗に学ぶには、文部科学省の第三者委員会が出した結論では物足りない。検証作業の継続を求めたい。
国民の強い批判を浴び、白紙撤回されるまでの新競技場の旧建設計画を検証した報告書である。
確かに、多くの問題点が明らかにされている。権限と責任を担うリーダーの不在、縦割り組織の機能不全、希薄なコスト意識や専門性の欠如…。
国家事業と向き合い、期せずして噴き出したのだろう。官僚機構の弊がいくつも指摘された。新計画の実現に向けて推進体制のチェックや意識改革は喫緊を要する。
事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長や、管理監督する下村博文文科相は、組織のトップとして責めを負うのは当然である。
とはいえ、形式的な意味合いの結果責任を問われたにすぎない。建築家ザハ・ハディド氏のデザインにこだわり、計画の迷走を招いた“主役”とは言い難い。
旧計画がなぜ破綻したのかを問うなら、その源流にまでさかのぼり、検証を尽くすべきだ。
石原慎太郎知事の時代に、二〇一六年東京五輪はじめ、サッカーやラグビーのワールドカップ(W杯)の招致活動が盛んだった時期がある。六年前の七月に先んじて勝ち取ったのは、一九年ラグビーW杯の日本開催だった。
ラグビーW杯の成功を目指す議員連盟は、一一年二月に旧競技場の八万人規模への再整備を決議した。四月には石原氏が二〇年東京五輪招致の意欲を示し、旧競技場を主会場とする機運が高まった。
まるで都民、国民不在のまま旧競技場の改修という選択肢が外され、建て替え路線が固まった。影響力を持つ政界やスポーツ界などの「重鎮」は、JSCの有識者会議委員に収まっていたのである。
報告書は当然「JSC理事長の諮問機関にもかかわらず、実質は重要事項の意思決定に関する承認機関となっていた」と問題視した。
なのに、第三者委は元委員の石原氏はもとより、日本ラグビー協会前会長で、五輪大会組織委員会会長の森喜朗氏ら歴代有力委員の聴取をしていない。時間不足は理由になるだろうか。
新計画は設計・施工業者選びに入った。並行して政府やJSCは権限と責任を明確にし、積極的に情報を公開してほしい。うやむやの霧に包まれたままでは困る。
国民の強い批判を浴び、白紙撤回されるまでの新競技場の旧建設計画を検証した報告書である。
確かに、多くの問題点が明らかにされている。権限と責任を担うリーダーの不在、縦割り組織の機能不全、希薄なコスト意識や専門性の欠如…。
国家事業と向き合い、期せずして噴き出したのだろう。官僚機構の弊がいくつも指摘された。新計画の実現に向けて推進体制のチェックや意識改革は喫緊を要する。
事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)の河野一郎理事長や、管理監督する下村博文文科相は、組織のトップとして責めを負うのは当然である。
とはいえ、形式的な意味合いの結果責任を問われたにすぎない。建築家ザハ・ハディド氏のデザインにこだわり、計画の迷走を招いた“主役”とは言い難い。
旧計画がなぜ破綻したのかを問うなら、その源流にまでさかのぼり、検証を尽くすべきだ。
石原慎太郎知事の時代に、二〇一六年東京五輪はじめ、サッカーやラグビーのワールドカップ(W杯)の招致活動が盛んだった時期がある。六年前の七月に先んじて勝ち取ったのは、一九年ラグビーW杯の日本開催だった。
ラグビーW杯の成功を目指す議員連盟は、一一年二月に旧競技場の八万人規模への再整備を決議した。四月には石原氏が二〇年東京五輪招致の意欲を示し、旧競技場を主会場とする機運が高まった。
まるで都民、国民不在のまま旧競技場の改修という選択肢が外され、建て替え路線が固まった。影響力を持つ政界やスポーツ界などの「重鎮」は、JSCの有識者会議委員に収まっていたのである。
報告書は当然「JSC理事長の諮問機関にもかかわらず、実質は重要事項の意思決定に関する承認機関となっていた」と問題視した。
なのに、第三者委は元委員の石原氏はもとより、日本ラグビー協会前会長で、五輪大会組織委員会会長の森喜朗氏ら歴代有力委員の聴取をしていない。時間不足は理由になるだろうか。
新計画は設計・施工業者選びに入った。並行して政府やJSCは権限と責任を明確にし、積極的に情報を公開してほしい。うやむやの霧に包まれたままでは困る。