タイのプミポン国王が88歳で亡くなった。
ほほ笑みが似合うタイの人々が悲嘆に暮れている。国王がどれほど深く敬愛され、頼られる存在だったかがうかがわれる。
タイはいま軍政下にあり、政治は必ずしも安定していない。その中で、国民から絶大な尊敬を集める国王が世を去ったのは大きな喪失というほかない。
プミポン国王は1946年に18歳で即位し、70年間にわたり国民とともに歩んだ。当初こそ軍事政権の権威づけに利用されたが、70年代以降、繰り返された政治的緊張の局面で自ら調停に立ち、和解を演出し、安定を回復させる役割を果たした。
73年に起きた学生による民主化要求運動の際は、軍事政権の首相を辞めさせる形で収拾を図った。92年に軍政が反政府運動を弾圧したときは、首相と運動指導者の双方を呼び、混乱を沈静化させた。
ときに国王が政治的な影響力を発揮する「タイ式民主主義」は、国王自身のたぐいまれな資質によって支えられていた。
国王の存在が与える安心感が日本など外国企業の投資を呼び込み、東南アジアの産業拠点として飛躍する基礎になった。
ただ、農村を基盤とするタクシン派が政治力を得た今では、王室も軍と同じ既得権益層の側に置かれる格好になった。
なお国民の信頼は揺らがなかったものの、激しい国内対立を鎮める役割には陰りもみえた。それは国王の体力の衰えが目立ち始めた時期とも重なった。
2014年のクーデターによって、タイは再び軍事独裁政権下にある。ことし8月に国民投票で支持された新憲法案は、上院を非公選として軍の影響力を保つようになっており、タクシン派勢力を封じ込めようとする意図が明らかだ。
来年以降に総選挙、さらには民政移管が予定されるが、再び対立や混乱が拡大するおそれがある。
いまのタイは、民主政治の新たなあり方を模索すべき過渡期に入っているのだろう。世界各国で民主主義への疑念が投げかけられている局面にあって、タイのこれからの動向は、とりわけアジアでの政治潮流を左右する重みをもっている。
偉大な調停者なき後、タイの指導者と有権者には難しい課題が残された。街頭で衝突を繰り返したり、政敵を弾圧したりでは解決できない。
対立を克服する国民の統合と安定した国造りを国王の遺志として、タイの新しい道を切り開いてほしいと願う。
ほほ笑みが似合うタイの人々が悲嘆に暮れている。国王がどれほど深く敬愛され、頼られる存在だったかがうかがわれる。
タイはいま軍政下にあり、政治は必ずしも安定していない。その中で、国民から絶大な尊敬を集める国王が世を去ったのは大きな喪失というほかない。
プミポン国王は1946年に18歳で即位し、70年間にわたり国民とともに歩んだ。当初こそ軍事政権の権威づけに利用されたが、70年代以降、繰り返された政治的緊張の局面で自ら調停に立ち、和解を演出し、安定を回復させる役割を果たした。
73年に起きた学生による民主化要求運動の際は、軍事政権の首相を辞めさせる形で収拾を図った。92年に軍政が反政府運動を弾圧したときは、首相と運動指導者の双方を呼び、混乱を沈静化させた。
ときに国王が政治的な影響力を発揮する「タイ式民主主義」は、国王自身のたぐいまれな資質によって支えられていた。
国王の存在が与える安心感が日本など外国企業の投資を呼び込み、東南アジアの産業拠点として飛躍する基礎になった。
ただ、農村を基盤とするタクシン派が政治力を得た今では、王室も軍と同じ既得権益層の側に置かれる格好になった。
なお国民の信頼は揺らがなかったものの、激しい国内対立を鎮める役割には陰りもみえた。それは国王の体力の衰えが目立ち始めた時期とも重なった。
2014年のクーデターによって、タイは再び軍事独裁政権下にある。ことし8月に国民投票で支持された新憲法案は、上院を非公選として軍の影響力を保つようになっており、タクシン派勢力を封じ込めようとする意図が明らかだ。
来年以降に総選挙、さらには民政移管が予定されるが、再び対立や混乱が拡大するおそれがある。
いまのタイは、民主政治の新たなあり方を模索すべき過渡期に入っているのだろう。世界各国で民主主義への疑念が投げかけられている局面にあって、タイのこれからの動向は、とりわけアジアでの政治潮流を左右する重みをもっている。
偉大な調停者なき後、タイの指導者と有権者には難しい課題が残された。街頭で衝突を繰り返したり、政敵を弾圧したりでは解決できない。
対立を克服する国民の統合と安定した国造りを国王の遺志として、タイの新しい道を切り開いてほしいと願う。